商店街について

About

理事長あいさつ

私たちかもだ通り商店街は、地域の皆さまに支えられながら歩んでまいりました。
長い歴史の中で育まれてきた人と人とのつながりや温かさを大切にしながら、
時代の変化に合わせた新たな取り組みにも積極的に挑戦しております。

商店街とは、単に買い物をする場所ではなく、
人の想いが行き交い、心が通う場所であると私たちは考えています。

初めて訪れた方でも、思わず「ただいま」と言いたくなるような、
ぬくもりにあふれた空間でありたい——それが私たちの願いです。

これからも、「新しくなつかしい商店街」をテーマに掲げ、
訪れるすべての方にとって居心地のよい商店街であり続けられるよう、
組合員一同、力を合わせて歩みを進めてまいります。

「また来たい」と思っていただける場所から、「帰ってきたくなる場所」へ。

今後とも、かもだ通り商店街への変わらぬご支援とご愛顧を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

かもだ通り商店街協同組合
理事長 水田 繁

かもだ通り商店街 理事長
HISTORY

かもだ通りの歴史

昭和13年頃のかもだ通り
昭和13年頃のかもだ通り
『薩藩御城下絵図(加治木)』(鹿児島県立図書館蔵) 中央の館から南に伸びる道が現在のかもだ通り
『薩藩御城下絵図(加治木)』(鹿児島県立図書館蔵)
中央の館から南に伸びる道が現在のかもだ通り

加治木は古くから交通の要所であり、中近世には海運の盛んな港町として栄えました。
16世紀、中国・明の書『日本一鑑』にも、薩摩・大隅を代表する港の一つとして加治木の名が記されています。

現在のかもだ通りの原型が形づくられたのは、17世紀初頭のことです。
島津義弘が加治木に移り住むと、その館を中心に城下町の整備が進められました。
かもだ通りは館の大手口(正門)へ向かう「本通り」として発展していったと考えられています。

それ以前、この一帯は蒲(がま)が生い茂る湿地帯で、
「蒲の生える田」だったと伝えられています。
それが語源となり、「蒲生田(かもだ)」という地名が生まれたといわれています。

昭和38年の加治木初市
昭和38年の加治木初市

江戸時代になると、加治木はさらに商業の町として賑わうようになります。
北薩や宮崎方面と鹿児島を行き来する多くの人や物が加治木を通り、
各地の特産品などが集まる「市」も盛んに開かれました。

『薩摩国御巡検使書』によれば、加治木で開かれた市は年間72回。
その数は薩摩藩内で鹿児島に次ぐ多さでした。

その伝統を今に伝えるのが、毎年春、かもだ通りを中心に開かれる「加治木初市」です。
天保9年(1838年)頃に始まったといわれ、今も加治木の春の風物詩となっています。

昭和43年のかもだ通り
昭和43年のかもだ通り

明治以降も、かもだ通りは加治木の商業の中心として歩みを続けてきました。
鉄道の開通、産業構造の変化、太平洋戦争下の加治木空襲、自動車社会の到来、郊外型大型店の進出――。
時代とともに、商店街を取り巻く環境も大きく変化してきました。

昭和62年 加治木夏祭り
昭和62年 加治木夏祭り

その中でも、それぞれの店が地域に根を張り、
お客様とのつながりを大切にしながら商いを続けてきました。

近年は、長く親しまれてきた店がその歴史に幕を下ろす一方、
この通りで新たに店を構える人や、若い世代による新しい取り組みも生まれています。

受け継がれてきた歴史や人のつながりを大切にしながら、
新しい店、新しい人、新しい楽しみが生まれる場所へ。

かもだ通りは、これからもこの町とともに、
「新しくなつかしい商店街」をつくっていきます。